私が嫁いだ家は、京都南部の旧家で築70年。主人の赴任先の兵庫県猪名川町から地元に戻り、3世代の2世帯が木津の旧家で同居することになりました。
しかし、旧家の台所は狭く、3世代揃って団欒できるスペースがありませんでした。
これまでのマンション暮らしでは、子どもたちのためにオーブンでケーキを焼くなど菓子作りを楽しんでいましたが、あまりに狭く使い勝手が悪いために、ここではそんな気分になれませんでした。
「この頃、あんまりお菓子作らへんようになったな・・・。」子ども達からそう言われると、申し訳ないような淋しいような・・・。
私にとってキッチンは家族の楽しさを創る場所だからです。
そんな時、奈良が震源の地震で旧家が大きく揺れました。
舅、姑も耐震工事が必要だと実感したようでした。
猪名川で、阪神淡路大震災を経験した私たちは身に染みて怖さを知っています。次に地震が来たら…。家族の不安は一緒でした。
ただ誰に、どう相談していいやら分からないまま月日が流れていきました。
ある日、主人が中学時代の同窓会に参加し、これまで「植木屋さんの息子」とばかり思っていた旧友が建築業を営んでいるということを知りました。
そこで、「まずは家に来て!」と北尾社長に声をかけたことがきっかけでした。
耐震診断の結果、梁が足りていないことが判明。
どうせやるならと、キッチンのリフォーム、お風呂、リビングルームの増築と手直ししたいところはたくさん出てきました。
コンパクトなマンション暮らしに慣れてしまった子供達は、離れにある薪で炊くお風呂になかなか馴染めずにいたので大喜び。
「おはようございます!」爽やかな挨拶とともに、リフォーム工事が始まりました。傍から見ていても気持ちがいいぐらい流れるように工事は進んでいきます。職人さんたちの意思疎通はばっちりです。
当初の予定よりも、工事内容が増えているので「工期は1、2ヶ月伸びても構いませんよ」とお声がけしました。
でも、現場監督の村木さんの「お盆前に引渡します」という言葉は変わりませんでした。それなのに、現場は慌てた様子もありません。流れるような動きとチームワークの良さは、村木さんの人柄と統率力だとわかりました。
応接室の柱を取り壊す前日、舅が「ここまで壊してしまうのか。」と不満をもらし、何とも納得がいかない様子。長年住み慣れた家に愛着があるのは当然のことです。
困った私は、現状を伝えたくて、仕事を終え、会社へと急ぐ村木さんに電話を入れました。
村木さんはすぐに戻ってきて、舅に一つ一つの工程と必要性について分かりやすく説明してくださったのです。
次の日、予定どおり柱を撤去する作業が始まりました。応接間の柱は昔流行だったらしいまわりをタイル貼りするデザインです。
一つ一つタイルを剥がしていくと、本来の柱が姿を現しました。
びっくりしたことに、スポンジのようにモワモワしているのです。これで柱として機能していたのでしょうか?考えただけで恐ろしいことです。この光景を目にした舅と姑も今回のリフォームのすべてが納得できたようでした。
そうして工事は滞りなく完了しました。
もう終わってしまうの?と名残惜しい気持ちにさえなりました。
リフォーム工事は、専業主婦にとって顔を付き合わせることが多く、ストレスが溜まるよ、と耳にしたことがありましたが、全く逆で、まるで賑やかな合宿さながらでした。
それは現場監督の村木さんの細部に渡る心配りと、職人さんの生き生きと働く姿が素晴らしかったからでしょう。引渡しの日、我が家の前で工事に関わってくださった皆さんと共に記念撮影をお願いしました。
おかげで狭かったキッチンも明るく広々!
私もキッチンに立つことが楽しくなり、子どもたちの笑顔も増えました。 そして旧家の大きな梁と大黒柱が素敵なデザインで生まれ変わり、昔と変わらず私達を見守ってくれています。
リフォームは、ただ住まいを変えるだけでなく、私たち家族もワントーン明るくしてくれました!
一家団欒を創ってくれた創園建設の皆さんありがとう! |